じじい50の日記

じじい50の日記

武士道平和主義

江戸時代の行政官は「武士」という身分だったので、官吏としての職業倫理は武士道を基礎としていた。
大道寺友山と宮本武蔵はその権威だ。

維新政府は武士を官吏として再組織したもので、欧米の外交官たちがキリスト教倫理を背景としていたのに対して、日本の外交官は武士道を背景としていた。

そこで、新渡戸稲造はクリスチャン官吏として、外国人に日本人の倫理観を説明するために武士道を紹介したわけだ。

戦国時代、合従連衡や寝返りが当たり前だったときの倫理観とは異なり、安定し成熟した江戸時代の武士道だから、当然、武術や戦争の方法とは関係なく、領民統治や宮仕えの心得が中心になっている。

武士は食わねど高楊枝。
町人から見ると武士の行動様式は実質(僅かなお金を食費に充てる)よりも見掛け(上等な楊枝を使って見せる)を優先しているように思われたが、

虎は死して皮を遺し、人は死して名を遺す、名を惜しむ、名折れ、という名誉の意識が高かった。

テロに屈するな、というのはその意味で武士道といえる。
やせ我慢。

これに対して、背に腹は代えられない、という実用主義・功利主義は、すくなくとも平時の武士道ではない。

対テロ戦争に支持を表明した国の部隊が占領統治に協力する、という状況のもとで武士道を持ち出すならば、

国際法、国連決議を中心とする秩序意識をみずからの内在する行動基準とすることを意味する。
なんでもいいから、強大な同盟国の大統領さま(ビッグ・ブラザー)の機嫌をとって置こう、という事大主義ではないはずだ。

それは、長い物には巻かれろ、ということだから、キリスト教倫理と比肩しうるわが国の武士道ではない。


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